私は以前に、病院で勤めていました。
大学を卒業して初めて勤務した病院では、学校で習ったことをまじめ~に患者さんにお話していました。
例えば…
「野菜は両手で持てるくらいが350gなので、一日にそれを目安に食べてくださいね」
「かぼちゃやサツマイモは、ご飯と同じくカロリーがありますよ」
「卵はコレステロールが多いので、一日1個までにしましょうね」
「鶏肉は皮の部分のカロリーが高いので、皮は外した方がいいですよ。
ヘルシーにしたければ、もも肉より胸肉がいいですよ」
そうすると、こんなことを言われたのです。
「栄養士さん、君は若いから分からんと思うけど、ぼくら、戦時中にサツマイモのつるとかばかり食べていたから、もう、サツマイモは食べたくないんやわ」
「病院の給食は、鶏肉が多いのが嫌やね。
私、子どもの頃、庭で鶏を飼っていて、それをよく食べていたから、もう見るのもいややねん」
「栄養士さん、洋菓子を食べたら血糖値上がるのは分かるけど、パートの仕事してると休憩時間にみんなでおやつを食べるから、自分だけ食べないとかできないで。
それに立ち仕事やから、食べないとお腹空くし…」
…んん?
私が栄養士として伝えていることって、正論なだけで、患者さんの役に立ってないんじゃないの!?もしかして、机上の空論!?
そして、栄養相談のはずが、
「定年退職した旦那が、毎日家にいてるから、昼ご飯の用意をするのが苦痛で…。何にもしてくれへんから、もうイライラして!!」
「仕事後に、直接家に帰らずに、赤のれんをくぐってリフレッシュして帰らないと、もうやってられへんのやわ」
など、生活背景を語られる方が、とても多いことに気が付きました。
そしてカウンセリングの勉強をして分かったのは、
・食べることって、「何を食べたらいいか?」という、そんな簡単なものじゃなくて、心理的背景がとても複雑に影響している。
・なぜ食べてしまうか?を考えずに、ただこの食材には〇〇という栄養素が豊富に含まれているので、積極的に摂りましょう!と言っても、患者さんの耳には届かない。
ということでした。
そんなことはありません。私は、もちろん栄養素は大事だと考えています。
例えば、急性期疾患の患者さんや、病気によっては、栄養素を考えた食事はとても重要です。病院の献立は、その一例です。
例えば、急性膵炎(すいえん)で入院した患者さんがいるとします。急性膵炎とは、膵臓そのものが膵液によって消化されてしまう(自己消化)疾患で、上腹部の急性腹痛発作や背中の痛みが出現します。
絶食で臓器を休ませた後、食事を回復させていく過程で出す献立は、脂肪を制限したものになります。
脂肪をたくさん含んだ食材や、油をたくさん使った料理を食べると、身体は、リパーゼという膵液(膵臓から出る消化液で脂質分解酵素を含む)を分泌しようとするので、痛みを感じやすくなります。
つまり、膵臓を安静に保つには…、
膵液をなるだけ分泌させなくてもいい食事が安心=脂肪制限食、となる訳です。
こう考えると、栄養素レベルでの食事管理はとっても大事です。でも、食事管理が必要な病気でなければ、栄養素以上に大切なことがある、と私は考えています。
こんな事例を聞いたことがあります。
どこかの病院の給食で出た「カロリーメイトの卵とじ」という一品。
…これ、どう思います?
病院栄養士「栄養バランスを考えているので、大丈夫です」
また、今どきの小学校給食の献立は、
「ジャージャー麺、フライドポテト、サイダーポンチ、牛乳」
「ソース焼きそば、串カツ、ワッフル(ココア味)、くきわかめサラダ、牛乳」
学校栄養士「1週間の栄養バランスを考えて、その平均値が栄養の基準をクリアしてるので、今日のメニューでも大丈夫です」
これ、会社の社員食堂で出たら、クレームものだと思いませんか?
栄養バランスだけを考えると、必ずしもいい献立になるとは限らないんです。
栄養価だけを考えてしまうと、まさに木を見て森を見ず、になってしまうこともありえるということです。
「〇〇は身体にいいから、食べた方がいいよ」
「あなたは、野菜が足りてないと思うよ」
こんな風に、食のことを周りに言われるのって、嫌ではありませんか?
食べることは、人の3大欲求の一つ。欲求は、本能です。
人に左右されて一時的に食生活が変わることはあっても、自分の中で納得できないと、また元に戻ってしまいます。
自分の思いと行動が一致しないと、それはストレスでしかありません。
なので、私は、食を考える時、何を食べたらいいかという表面だけを見るのではなく、その人全体の生き方、価値観なども含める必要があると思っています。